- 筆者が身分不相応な灘高校を目指すことになる、何だそりゃ!?なきっかけ
- そのきっかけから言える、一つの教訓
灘高校の定員はたったの40名。
中学受験で180人の定員枠があることを考えれば、あまりにも少ない。
こんなの天才しか受からないときっと何も知らない人は思うだろう。
ただ、私のような一般ピーポーも結果として合格には成功した・・!!
その後のことはお察しであるが、それでもどのような動機・経緯があって灘高校を本気で目指すことを考えたのか、気になる方もおられるのでないだろうか。
この記事では、それを説明したい。
小学校まで
今の中学受験界隈では、遅くとも小4には塾に入ることが多いと聞いている。
人によっては、小3や小1から塾に通っている人もいるだろう。
そんな中、私は小学校6年生まで塾に行ったことがなかった。
小学校の成績も平均よりは上だったが、別に一位とか100点・90点ということもなかった。
別に家でも好き好んで勉強したりしなかった。
学研の通信教育などは契約していたものの、やらずにひたする積み上がっていくテキスト達に部屋は圧迫されていた。
そんな私だが、一つの転機として小6の時に転校した。
そして近所の塾に半ば入れられる形で入ったのだ。
そこでやる気が爆発し、超勉強を開始!!
ということでは全くなく、最低限のことしかやらず、成績も別に変わらなかったと記憶している。
もっと前、小4くらいの頃、親から
「中学で受験するのと、高校で受験するのとどっちがいい?」
と聞かれ、
「どっちが受けないといけないの?」
「うん、どっちかは絶対受けないといけない」
「じゃあ高校で、今勉強したくない」
などと即答したのを覚えている。
人間はそんな簡単に変わらないのだ。
ただ、なぜだが、別にクラスの成績順がわかっているわけでも、模試で自分の実力を客観的に把握しているわけでもないのに、自分は頭がいい、と漠然と思っていた。
理由のないプライドがあった。
何でかは分からないが、そのプライドに後押しされる形で、灘高への道は開けてくることになる。
中学校入学
小学校の卒業式が終わり、中学校の入学前の春休み、私の人生を永遠に変える瞬間が来る。
それがなければ今の高コスパの人生はなかったし、このブログを書くこともなかっただろう。
私はその瞬間から、勉強に目覚めた。
誰に指示されるまでもなく小学校の復習をしたり、誕生日プレゼントに漢字辞典をお願いしたり、今思えば取り憑かれたように勉強を自主的にした。
世間の親御さんは喉から手が出るほど知りたいだろう、何が起こったのか。
それは・・・
進研ゼミのダイレクトメールの中に入っている”マンガ”・・・・
今まさに中学校に入学した主人公達が公立トップ高校に受かっていく姿が描かれていたあのマンガ・・
この主人公達ができるなら、俺ならもっとできるんじゃね
そう思ったのである。
何の参考にもならんわ!!と思っている親御さん、
ごめんなさい。
でも事実なんです。
本当にこれがきっかけで、私は一人でに勉強を始めた。
この時点ではまだ、灘高校ではなく、地区の公立トップ校を目指していた。
しかし、あくまで灘高校はその延長線上であり、私の人生の原点である。
結論
私が言いたいのは
どんな些細なことも自分を変える原動力になりうる
ということである。
人生に無駄なものはないし、こんなものはいらない、と決めつけられるものないのだ。
もしあのとき、親が進研ゼミのダイレクトメールをそのままゴミとして捨てていたら、私は灘高校に行っていなかったし、このブログで皆さんとお会いすることもなかった。
何が人生にプラスに働くかは分からない。
最短距離だけでなくて、いろんなものを見ていきましょうよ!
ただ残念ながら私はそれ以来、これほど劇的に自分の人生を変えるほどの、何か強烈なきっかけには出会っていない。
でもそれで十分だ。
あとは何とかするよ、もしかしたら、あれは何かしたらの神様からのインスピレーションなのかもしれない。
次回は、そんな私がなぜ灘高校を目指すようになったかを語らせて頂ければと思う。
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