お山の大将は幸せなことかもしれない。ただ、コスパの良い人生を送るためには、自分が取るに足らない存在であることを受け入れた方が良い。
灘高で感じた天才と一般ピーポーの差を綴っていこうと思う。
私は中学で勉強に目覚め、公立中学だったものの学年一位は不動だった。自然な流れで、学区No.1公立高校を志望校としていた。もちろん自分に自信しかなかったし、プライドも凄く高かった。
また別記事でフォーカスを当てようと思うが(将来、ここにリンク貼ります)、紆余曲折あって当時日本一の灘高校を目指すようになり、スーパースパルタ塾で鍛えられ、なんとか灘高校に合格できた。
もちろん塾の中にも凄い奴はいたし、その時点である程度は自分が大したことがないことは分かっていた。
ただ実際に灘高校に入学してみると、そこには想像の超えるスケールの天才が溢れていた・・。
そもそも灘という学校は、6年生の中高一貫校である。今は変わっているかもしれないが、中学で180人が入学し、高校に上がるタイミングで新しい風を入れるという名目(定かでない記憶)で40人だけ募集する。
”在来”と呼ばれる中学入学組の方は中3の時点で高校数学まで進んでいるため、”新高”と呼ばれる高校入学組とは学習進度が違う。そのため、1年間限定だが数学については在来と新高は別々に授業を受けていた。
そう、たった1年間だけ別なだけ。高2からは在来も新高も混ざって授業を受ける。
そのため、我々新高は1年間で高校2年分の数学を習得しなければならなかった・・!!
そんな背景をご紹介しつつ、私の入学後のファーストインパクトであるA君を紹介しようと思う。
【地方からの天才:A君】
新高の40人のほとんどは、灘高の立地する関西圏在住がほとんどだが、中には新幹線で通っていたり、日本各地から下宿してまで入学する者もいた。
下宿している同級生は漏れなく賢い。
15歳の時点でそれだけの覚悟を持ってやってきているのだ、凄くないはずがない。
A君も関西以外の地方出身で、学校近くに下宿していた。
口数は少なかったが、とても優しい性格の持ち主で、のほほんとしている姿に好感を持っていた。
そんな私がA君で衝撃を受けたのは二つのことだ。
①これまで塾には通ったことがなく、公文式だけで灘高合格
②超絶広い数学のテスト範囲を、199点/200点満点で突破
詳しくは別記事で記載するが、私は灘高合格のためにめちゃめちゃ塾で勉強した。塾が敷いたレールに乗って、あらゆる地獄を乗り越えて合格になんとかこぎつけた。
だが、A君はこれまで塾に行ったことがないのである。そう、SAPIXも、早稲田アカデミーも、希学園も、浜学園も、日能研も。彼は知らないのである。
そんな彼は地頭も良いが、努力もしていたのだろう。詳しいことは忘れつつあるが、ある一回の期末テストにて、三角関数・対数・数列・確率などを含めた全範囲が試験対象だった。
どれも本来は一個だけしか試験範囲にならないようなヘビーなものだ。試験前などやってもやっても忘れる。範囲が広すぎる・・。(正直普段からあまり勉強していなかったのもある・・)
私のテストの結果は、90点/200点満点くらいだったのでないだろうか。今でも同じことをやれと言われたら発狂しそうになる。
それをA君は199点取っていた。
A君は自慢するようなタイプではない。たまたま見えただけ。100点と99点の二枚のテスト結果がそこにあった。
なぜそこまで衝撃だったかは分からない。数学オリンピック金メダリストだとか、東大首席とか、もっと凄い天才は同級生に居たが、この記事を書くにあたり真っ先に思い出したのはA君だった。
恐らくは、分かりやすい点数の差という意味で、一番最初に認識した天才との差だったからかもしれない。
ただ当時から思っていた、私と彼の差は100点とか、110点とかではなく、無限大だと。
彼は青天井でどこまでも駆け上がっていける男だが、私はそうではないと。
ちなみに彼は東大理三に進学した。
~灘高story②に続く~
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