上には上がいることを知る③ -灘高story-

灘高

鶏口牛後という言葉があるが、まさに私は灘高における”牛後”のポジションであった。

皆さん思うのでないだろうか。

結局東大や医学部といったコースを外れてしまった現実を鑑み入学を後悔しているか?

レベルを落とした高校の方が良かったのでないか?後悔していないか?

否!私は一切後悔していないし、入学できた奇跡に感謝したい。

灘高に入学できたことで手に入れたこととしては、

・良くも悪くも知名度は抜群なので、自分で自慢することはしなくても、知っている人から噂のように広がる。結果として、名前を覚えられる。

・「日本一の高校に合格できたのだから、今苦労していることなど当時に比べれば大したことないはず」などと自分を鼓舞できる。

などがあるが、一番大きいことは以下である。

・上には上が必ずいる。

そんなの当たり前と思うかもしれない。ただ、上のスケールが凄過ぎて、自分なんてとるに足らない存在だと思うようになった。

もちろんプライドがなくなったわけではないし、自分だってそれなりにできるという自負心は持っている。

ただ、別に自分を過剰にアピールしたりしないし、凄い人を凄いと素直に認められる柔軟性を手に入れた。

なぜなら本当の天才を間近に見てきて、別に自分ごときを自慢する気になれないのである。

一言でいえば、謙虚になった。すごく謙虚になった。

この心持ちは、特に社会人になってから凄く活きている

はっきり言って、日本の大企業など、その業務遂行において特殊な能力などほぼほぼ必要ないのだ(研究など特殊な部門は違うよ!)。

何が大事って、素直な心と謙虚さ、それさえあれば上手くやっていけるし、先輩・後輩に関わらずフラットに接することができるし、愛嬌というのはそのような姿勢から出てくるものだ。困っても誰かが助けてくれる。最も大切な能力と言えるだろう。

灘に限らずとも、会社の同僚で東大・京大などの出身者は謙虚な人が多い。

彼らも同じように青天井の天才を見てきており、自分の立ち位置なども理解しているのだろう。(真の天才はインフラ系には来ないので・・)

ただこれも別記事で書こうと思うが、最近の新入社員の一定の属性を持つ子達は、これらと真逆・・すごく傲慢なことが多い。(老害っぽくてゴメンね!)

それは、学歴はそこまで高くないが、英語はペラペラ・留学経験ありな子達である。(皆が皆当てはまるというわけでいことはご理解ください

非常に目立ちたがりだが、人望がなく、打たれ弱い。なぜかは分からない。

日本の伝統的な大企業において彼らの居場所はなく、遅かれ早かれ転職していくだろう。

そういう人を私は見てきた。別に残ることが幸せとは思わないし、彼らにはもっとピッタリな会社があると思う。ただ、コスパが悪い!!せっかく良い意味で”利用できる会社=日本の伝統的な大企業”にいるのに・・

私は、挫折によって結果的に謙虚さを知れた。

それが会社の中での人間関係構築や人としての信頼にダイレクトに効いている。

おかげで、仕事量・責任に見合わない高待遇を頂いていると思っている。

声高に言いたい!

上には上がいる、謙虚になれ!!

公立中学から灘高校へ進学したものの東大には行けず地方旧帝大へ進学。ただその過程で天才ではない自分を客観視し、効率よい生き方を模索。現在は大手企業勤務の30代半ば(年収900万程度。)我ながら”コスパ”の良い生き方をしてきたと自負しており、その経験を皆さんにお伝えしたい。

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