上には上がいることを知る② -灘高story-

灘高

まだまだ私という人間は真の天才達の凄さを見せつけられ、一般ピーポーがとんでもないところに紛れ込んでしまったと実感することになる。

次に、同級生のB君の話をしようと思う。彼は灘高の中でもトップオブトップであり、受験テクニックだとかそういう領域からは隔絶されていた。

天才達との差をまじまじと見せつけられた経験という観点では、彼のこのエピソード以上のものはない気がする。そもそも戦うステージが違うのだから。

【世界にはばたくB君】

それは、定期テスト(中間か期末かは忘れた)の一日目が終わった瞬間だった。

中高一貫校ということで、世の高校の進度よりも早いうちにインプットが終わるカリキュラムとなっており、数学を例とすれば高2の終わりには高3までの全ての内容を終わらせていた。

私は成績下位で合格したにも関わらず、なぜか勉強は普段からそこまでしていなかった。

理由は分からないが、これが苛烈な高校受験の燃え尽き症候群だったのだろうと推測する。

そのため、テスト前は一夜漬けモードに突入するのだが、灘高では以下のようなスケジュールでテストが行われた。

・中間テストの場合、3教科/日 ✖️ 3日間

・期末テストの場合、中間テストの日程を、インターバルの1日を挟んで2回実施する。

恐らく、この部分は世の高校とは大きく変わることはないだろう。

変わってくるのは、競い合うのが日本最高峰の頭脳と、一味も二味も違うテスト問題という点だ・・。

どのような(恐ろしい)テスト内容だったかは、また別記事にて投稿させて頂く予定だ。(将来、ここにリンクを貼ります。)

一般ピーポーかつ一夜漬けの私は、当然その内容をカバーできず、一日目の3教科のみしか準備ができないまま、定期テストに突入してしまっていた。

一日目が終わり、終わりの会?(名前忘れた)にて担任より事務連絡が行われている際、

「明日の3教科どうしよう・・、なんでもっと早くやっとかなかったんだぁ」

という後悔の念と焦燥感が自分を支配していた。

そのときである。

他のクラスの担任が突然集まってきて、声高に話し始めた。

「お前ら!!明日からB君は、〇〇国で行われる物理オリンピックに出場するため、今日日本を発つ!B君!頑張れよ!」

クラス全員「がんばれー!Bー!!」

呆然としながらも、同調して拍手を送る私がそこにいた。

2日目のテスト勉強どうしよう・・などと小さなことを悩んでいる私を置いて、同級生は日本を背負って世界と戦いに行っていた。

それ以降のテストを欠席するB君の対処について学校側がどうしたのかは知る由もないが、もはやB君レベルでは定期テストなど課す必要はない、そう考えていたと思う。

今まではどんな同級生やライバルも、同じ試験で戦い、そこで点数というもので実力差が定量化されてきた。

しかし今回は本当に無限大の差を感じた。私が一生立つことのないステージに悠々と飛び出していく。彼こそ真の灘高生だ。

この瞬間、私は自分が一般ピーポーに過ぎないことを強く自覚し、灘高生というブランドに上手くしがみついているだけの自分を再認識した。

それからであろうか、もちろん成績はうまく行って校内平均点、通常は下位、のような立ち位置はあまり変わらなかったものの、自主的に勉強を始めるようになった(おせーよ。)

天才に勝つことなどは毛頭考えていないが、少なくとも自分でやれることはやらないとダメだな、と自然に思うようになった、

ただこの自主的な勉強習慣、というのは高校卒業以降、凄く効いた。コスパの良い人生のために。

こちらも将来的に”スパルタ教育の功罪”、という観点から記載したいと思う。

実際にスパルタ塾を耐え抜き、挫折を味わいつつもそれなりの人生を送れている(と思っている)私だからこそ書ける、これからお子さんと受験戦争の世界に飛び込む・もう飛び込んだ親御さんにも広く見ていただきたい記事になると思う。

B君のその後は、確か東大に行っていたと記憶している。

~上には上がいることを知る③~へ続く

公立中学から灘高校へ進学したものの東大には行けず地方旧帝大へ進学。ただその過程で天才ではない自分を客観視し、効率よい生き方を模索。現在は大手企業勤務の30代半ば(年収900万程度。)我ながら”コスパ”の良い生き方をしてきたと自負しており、その経験を皆さんにお伝えしたい。

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